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広島高等裁判所松江支部 平成元年(ラ)2号 決定

抗告人 米子税務署長

代理人 宮越健次 山根幸雄 吉平照男 宮本博 今岡由一 ほか三名

相手方 小室安正

主文

一  原決定中抗告人に文書提出を命じた部分を取り消す。

二  相手方の本件文書提出命令申立中予備的申立を却下する。

理由

一  抗告人の本件抗告の趣旨及び理由は、別紙抗告状及び抗告の理由補充書記載のとおりであり、これに対する相手方の答弁は、別紙抗告理由に対する反論書記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  民訴法三一二条一号該当性及び守秘義務について

所論に鑑み、本件青色申告決算書の右の点について検討するに、この点についての当裁判所の判断は、原決定二枚目表六行目から四枚目裏八行目までと同一であるから、これを引用する。

2  予備的申立について

相手方は、抗告人において本件青色申告決算書原本のうち、申告者、税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等の固有名詞を削除した写しを作成して提出することを求めているのであるが、右にしたがつて抗告人が、原本から書き写して作成した本件青色申告決算書は、写しと題しても、前記原本とはその作成名義人を異にする別個の文書であることはいうまでもない。

ところで、文書提出命令の制度(民訴法三一二条ないし三一四条)は特定の文書の原本が存在することを前提とし、これを所持する者にその提出を命ずるものである。したがつて、右文書提出命令を申立てる者が原本を所持する者に対し、原本と異なる文書すなわち、右申立時存在しない文書を作成させたうえ、これを提出すべきことを求めることは、文書提出命令の制度に含まれないばかりか、同法三二二条の原本提出主義にも悖る結果となり、許されないといわなければならない。もし、相手方が抗告人に対し求めている前記写しとは、前記削除部分を隠蔽したコピーであるという趣旨に解するならば、抗告人が相手方に対し右コピーを制作する作為義務を負う法的根拠はないし、また、右コピーに表示された筆蹟、その他の記載内容から当該納税者が特定され、抗告人の右納税者に対する守秘義務違反が生じるおそれなしとしない。

三  よつて、相手方の本件文書提出命令申立中予備的申立は理由がないところ、これと異なる原決定は失当であるからこれを取り消し、本件文書提出命令中予備的申立を却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 広岡保 渡邉安一 渡邉了造)

別紙

抗告状<抄>

抗告人(原審相手方)米子税務署長

相手方(原審申立人)小室安正

右当時者間の鳥取地方裁判所昭和六三年モ第一五六号文書提出命令申立事件(本案鳥取地方裁判所昭和六一年(行ウ)第二号更正処分取消請求事件)について、同裁判所が平成元年一月二五日なした決定は同日抗告人に送達されたが、不服であるから、即時抗告を申し立てる。

原決定の表示

一 相手方(被告)は、本件訴訟における推計課税のため抽出した同業者である昭和六一年一〇月七日付相手方(被告)準備書面(一)別表三ないし五に記載する米子税務署管内のA、B、C及びDについての各昭和五四年分ないし昭和五六年分の青色申告決算書(青色申告書添付の決算書一切)の写し(申告者、税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等の固有名詞を削除したもの)を提出せよ。

二 申立人(原告)のその余の申立てを却下する。

抗告の趣旨

一 原決定中抗告人に対し文書の提出を命じた部分を取り消す

二 相手方(原審申立人)の申立てを却下する

との裁判を求める。

抗告の理由

第一文書提出義務の原因について

原決定は、民事訴訟法(以下「民訴法」という。)三一二条一号のいわゆる「引用文書」の意義につき、「文書そのものを証拠として引用する場合の他、その主張を明確にするため文書の存在・内容を積極的に言及した場合の文書も含むと解するのが相当である。」(二丁裏)とした上で、本件にあっては、抗告人が、相手方の所得を推計するに際し、類似同業者の青色申告に係る金額に基づいて算出した所得率を用いて主張したこと及びこれに対応した証拠たる課税事績表(乙第四号証の一ないし三)は類似同業者の青色申告決算書(以下「本件青色申告決算書」という。)に記載された金額を移記して作成されたものであることが認められるとし、結局、これらの事実を総合し、本件青色申告決算書は「引用文書」に該当すると判示した。

しかしながら、抗告人は、原決定も認めるとおり、本件において直接本件青色申告決算書につき主張においても、また証拠としても引用していないのであるから、原決定は、この点において既に、不当であると言わざるを得ない。すなわち、抗告人が、その主張において、いわゆる青色申告に言及したのは、昭和六一年一〇月七日付け被告準備書面(一)の第四・一・3及び同・二・2で類似同業者の抽出基準の一つとして「各年分を通じて所得税青色申告につき税務署長の承認を受けている者」と述べた二か所であるが、これは、本件における推計課税の内容を説明するに当たり、類似同業者の抽出基準について一般的・概括的に述べたにとどまり、本件青色申告決算書の存在について触れたものではないから、特定の青色申告決算書の存在について具体的・自発的に言及し、かつ、その存在と内容を積極的に引用した場合に当たらないことは明らかである〔東京高裁昭和四〇年五月二〇日決定・判例タイムズ一七八号一四七ページ、東京高裁昭和五三年七月二〇日決定・訟務月報二四巻一〇号二〇七九ページ、高松高裁昭和五七年五月三一日決定・判例タイムズ四七五号一五〇ページ、大阪高裁昭和六〇年七月一日決定・判例タイムズ五六七号一七六ページ参照。なお、裁判例においては、行政庁の訴訟担当者が、公文書の一部を黒塗りしてその写しを作成した上書証として提出し、その記載内容に関する主張を行った事案についてすら、右公文書(元の文書)は引用文書に当たらないとされている(東京高裁昭和五九年三月二六日決定・訟務月報三〇巻八号一四一二ページ)ところである。〕。

なるほど、前述した課税事績表の作成に当たっては、本件青色申告決算書を参照し、その内容の一部に基づいて作成したものであるが、右決算書は、あくまで文書として独立した意味内容を有し、形式上も課税事績表とは別個独立のものである。このように、両文書は全く別個独立の文書であり、ただ課税事績表の作成に当たり、青色申告決算書の内容を一部参照したに過ぎないのに〔それも、証人土井哲生がその証言中で述べたに過ぎず、何ら証拠として引用したものではない。原決定が本件文書を「引用文書」と認めるための根拠の一つとして、本案における被告申請証人土井哲生の証言を斟酌している(三丁裏)のは、明らかな誤りである(時岡泰・「渡部=園部編・行政事件訴訟法大系」三七八ページ参照)。〕、これを理由に右決算書自体を訴訟において引用したものと解することは、参照文書を引用文書と同一文書視するものであって、「引用文書」の意義を不当に拡大するものであり、到底許されない。特に本件のような同業者率による推計課税事案において、課税庁側で青色申告決算書を引用して主張立証を行うことは、後述のように、守秘義務違反の問題を生じることから、やむを得ない選択として国税局長の通達に基づく課税事績表による主張立証を行うに至ったという実情を無視するものであり、もしこのような「引用文書」の定義の不当な拡大を通じ、青色申告決算書自体の提出を余儀なくされることになれば、当該納税者の不信を招き、ひいては同業者率による推計課税自体が著しく困難にならざるを得ない。

以上のとおり、本件青色申告決算書が民訴法三一二条一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に当たるとした原決定の判断は明らかに失当である。

第二守秘義務について

原決定は、「民訴法三一二条に定める文書提出義務は、公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一性格と解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号などの規定が類推適用される。」旨判示し(四丁表・裏)、したがって、本件青色申告決算書の原本の提出義務はないとしながら、納税者の特定につながる固有名詞を削除した写しであれば、守秘義務違反の問題は生じないと判示し、さらに、抗告人の、このような写しであっても、従業員・専従者の年齢、償却資産の内容、申告書の筆跡などから、申告者の特定は可能であり、現に特定し得たと主張された事例もあるとの指摘に対し、「本件について右のような弊害が生じる具体的危険の発生を認めるにたりる証拠はなく他に右特段の事情の存在も認め難い。」旨判示している(五丁表)。

しかしながら、原決定の守秘義務についての判断は、次のとおり明らかに誤ったものである。すなわち、

一 原決定もいうとおり、守秘義務による文書提出義務の免除は、民訴法二七二条、二八一条一項一号等の証人義務、証言義務の免除を認めた規定の類推適用にある(東京高裁昭和四四年一〇月一五日決定・判例時報五七三号二〇ページ、名古屋地裁昭和五一年一月三〇日決定・判例時報八二二号四四ページ、浦和地裁昭和五四年一一月六日決定・訟務月報二六巻二号三二五ページ)。

ところで、民訴法が公務員をその職務上の秘密につき尋問するに際しては監督官庁の承認を要する(同法二七二条)とし、公務の職務上の秘密であることを理由とした証言拒否(同法二八一条一項一号)の場合にはその当否を裁判所が判断し得ない(同法二八三条一項)としたのは、何が職務上の秘密に該当するか否かの実質的な判断権が裁判所にはなく、その点の判断は監督官庁に委ねられるとの趣旨であると解するべきであるところ(斉藤秀夫・「注解民事訴訟法」五巻四一、五一ページ、井口牧朗・「実務民事訴訟講座1・判決手続通論1」三〇六ページ参照)、右の理は守秘義務による文書提出義務の免除の場合についても同様に解すべきであり、このように解さなければ、人証か物証かの証拠方法の差異という一事をもって公務員の職務上の秘密の保護に違いをもたらすという不合理な結果を招来するからである。

そうであれば、文書の提出を命じるか否かの判断に当たっても、当該文書の所持者である行政庁が右文書には守秘義務の対象となる事項が含まれているとしている以上、その判断は尊重されるべきであるにもかかわらず、原決定が、本件青色申告決算書の原本の一部を削除した写しの提出を命じることをもってたやすく守秘義務違反の問題が生じないとしたのは、明らかに守秘義務による文書提出義務免除に関する法律解釈を誤ったものというべきである。

二 確かに、課税庁は、かつて、原決定がまさに提出を命じているような、納税者の住所・氏名等の固有名詞を削除した青色申告決算書の写しを書証として提出したことがあった(これは、右削除措置により納税者の匿名性が保持され、守秘義務にも反しないと一応判断したからである。)。

しかし、課税庁は、その後実際の訴訟事件において、原告側から前記固有名詞を削除した青色申告決算書の写しに基づく調査で納税者を特定し得たと主張され、当該納税者につき証人申請された事例が少なからず生起し、しかも、その際、原告側が右決算書写しを各調査先まで持参し呈示するといった事態まで生じ、守秘義務の保持を危うくするに至ったことから、以来やむなく青色申告決算書の写しによる主張立証に代えて課税事績表による主張・立証方法を選択するに至ったものである。すなわち、原決定の命ずるような固有名詞を削除した青色申告決算書写しであっても、そこには、なお、従業員又は事業専従者の人数・年齢・給与等の金額及び減価償却資産の内容等個人のプライバシー及び営業上の秘密に属する事項が多数記載されているため、かかる書類が、原告側の調査過程で、不特定多数の調査先に開示されるならば、その記載内容、筆跡等から申告者が特定される具体的危険は直ちに生ずるのである(高須要子・「文書提出命令」裁判法大系20租税争訟法三六五ページ参照。その詳細については後日補充する。)。

特に、本件における類似同業者は、米子市内に店舗を有する個人の酒類販売業者と限定され、その数も四件と僅少であることから、前記の危険は、一般の場合に比し著しく高いものとみるべきであって、このことは、本案において、相手方が広島国税局長の発した一般通達(乙第二号証)と類似同業者の課税事績表(乙第四号証の一ないし三)に基づく実地調査によって、本件類似同業者の一人を特定し得たとしていること(渡辺紀子の昭和六三年一〇月一三日付け証人調書八四・八五項参照)によって明確に裏付けられるところである。

しかるに、原決定は、本件青色申告決算書の具体的内容につき何ら承知していないにもかかわらず、軽々に納税者の特定につながる固有名詞を削除すれば守秘義務の問題は生じないとしたものであり、守秘義務の保持の何たるかにつき正しい理解を欠き、この点でも不当であるというほかない。

第三提出文書の不存在について

原決定は、抗告人に対し、固有名詞を削除した青色申告決算書の写しという現に存在しない文書を新たに作成してこれを提出することを命じたものであるが、これが民訴法三一二条等の予定しない作為を当事者に課した違法なものであることは明白である。

右の点に関し、原決定は、その前段において、「文書提出命令の制度はもともと特定の原本が現存することを前提とするものであるから、その作活がいかに容易であっても現存しない文書を作成したうえこの提出を命じることは文書提出命令の制度上不可能とも考えられる。」旨判示しながら(原決定五丁表・裏)、後段において、何らの法律的議論も経ることなく、前記のごとき写しの提出を命じるのが適当であるとの一事をもって、安易にその提出を命じたものであるが、かくては、解釈論と立法論ないし政策論を混同するものと評せざるを得ない。

前記のごとき写しの提出を命じることが違法であることは、抗告人が昭和六三年一〇月一三日付け文書提出命令に対する意見書一及び同六四年一月七日付け文書提出命令に対する意見書(二)四において述べたとおり、極めて明らかというべきである〔抗告人の昭和六三年一〇月一三日付け文書提出命令に対する意見書一末尾掲記の大阪高裁決定のほか、東京高裁昭和六二年九月四日決定・税務訴訟資料第一五九号四九一ページ及び名古屋地裁昭和六三年一二月一二日決定・判例集未登載(疎乙第一号証)を各参照〕。

第四結論

以上の次第で、原決定中抗告人に対し文書の提出を命じた部分は不当であるから、速やかにこれを取り消し、相手方の申立てを却下すべきである。

別紙

抗告の理由補充書

一 抗告人は、本件即時抗告申立書「抗告の理由」第二の二において、原決定の命ずるような固有名詞を削除した青色申告決算書写しを提出した事件の審理の過程で、原告側が申告者を特定し得たと主張した事例があることを挙げて、右のごとき青色申告決算書写しであっても、これを提出することは申告者の特定される具体的危険を生ずるのであって、守秘義務に違反するものである旨主張したところであるが、右の点に関し、次のとおり補足して主張する。

原決定は、抗告人に対し、固有名詞を削除した青色申告決算書の写しであれば、特段の事情のない限り納税者の営業、財産などに関する秘密を漏泄するおそれが直ちにあるとはいえないとし、かつ、本件においては、相手方から事業内容などにつき調査を受けるなどの弊害等が生じる具体的危険の発生を認めるに足りる証拠はなく、他に特段の事情も認め難いとしているが、現に、広島国税局管内でも、広島地方裁判所昭和五八年(行ウ)第一一号所得税更正処分等取消請求事件〔原告花岡正人(地質調査業、以下「原告」という。)、被告海田税務署長(以下「被告」という。)〕において、右のごとき具体的危険が生じた事例が存在するのである。

すなわち、右事件において、被告は、推計課税を行うに当たり、原告の住所が広島県安芸郡府中町に所在するところから、海田税務署と右府中町に隣接する広島市、呉市、東広島市を管轄する各税務署管内の同業者のうち、業種及び事業規模等において原告と類似している者二名を類似同業者に選定したところ、審理の過程で、原告は、右同業者を特定し得たと主張するに至ったばかりか自らが特定し得たと主張する同業者と面接して、業種・業態の調査を行った上、同業者の店舗の写真及び商業登記簿謄本等を書証として提出しているものであり(疎乙第二号証七五項、八五項、一五三項)、右の特定については言うまでもなく、被告提出の同業者の青色申告決算書写し(疎乙第三号証)から、所轄税務署、売上高、売上原価、従事員数及び機械装置の保有状況等を把握した上、同業者名簿を利用する等の方法によってこれが可能になったものと推認されるのである(疎乙第四号証一二八項参照)。

しかも、右事件においては、広島北民主商工会事務局員の「出野上」なる人物において、被告が書証として提出した類似同業者の青色申告決算書写しのコピーを同業者に提示し、同業者自身の決算書であるか否かを確認させたことが認められるのであり(疎乙第四号証一二六ないし一三三項)、当然にそれに至る過程で、他の多くの同業者にも青色申告決算書写しを示して自己の申告ではないかを調査していることも、容易に推測されるところである。

また、前同様の事態は、他の国税局管内においても頻発しており、特に、そば屋、漬物小売及び塗料販売などのように多数の同業者が存在し、希少業種とはいえない事案であっても、原告から同業者を特定し得たと主張される事例が生じたことに留意すべきである〔大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定・税務訴訟資料第一五三号六〇九ページ(疎乙第五号証)中の別紙(二)「抗告の理由」第三末尾部分及び別表並びに別紙(三)参照〕。

もとより、抗告人としては、守秘義務を厳守すべき立場上、右各事例における原告側の主張が真実であるか否かを明らかにし得ないのであるが、既に述べたとおり、個人の重要なプライバシーや営業上の秘密が記載された青色申告決算書については、たとえ固有名詞を削除した写しであっても、これを提出するならば、原告側によって不特定多数人に開示され、同業者の匿名性自体さえ維持されない具体的危険がある以上、守秘義務を遵守すべき抗告人においてより慎重に対応すべきことは当然であり、右の現実的危険性及び行政庁の職責に対する理解を著しく欠いた右決定の不当であることは明らかであると言わなければならない。

二 次に、抗告人は、本件における守秘義務にかかわる判断権に関し、次のとおり補足して主張する。

守秘義務に基づく文書提出義務の免除に関し、何が守秘事項に当たり守秘義務違反を避ける方法としていかなる方策を採るべきかの判断がすべて行政庁に委ねられていると解すべきことは、「抗告の理由」第二の一で主張したところであるが、仮に守秘事項に当たるか否かの判断権が裁判所にあるとしても、守秘事項記載文書の提出について守秘義務違反を避けるためにいかなる方策をとるべきか、換言すれば、守秘義務違反が生ずるおそれなしに、その文書の記載内容をどこまで訴訟において公表し得るかについては、これを所持する行政庁の裁量的判断に委ねられていると解すべきである。

この点に関し、刑事訴訟法四七条本文により公判開廷前には公にしてはならないとされている捜査書類等について、同条ただし書きは、「公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない。」と定めているところ、裁判例は、不起訴事件記録を保管所持する検察庁がその中の捜査書類の提出命令を申し立てられた事案において、「右の公開するか否かの相当性の判断は、被疑者その他捜査協力者及び刑事訴訟関係人らの名誉、プライバシーを保護し、また、刑事裁判開始前に、裁判に対して外部から不当な圧力の加えられることを防止し、刑事司法手続の独立公正を維持しようとする同条の立法趣旨に照らし、書類の内容を把握している当の保管者(本件においては起訴不起訴の権限を独占し、本件被疑事件を管掌する千葉地方検察庁)に委ねられている(また、当該保管者でなければ、当該書類の公開により、訴訟関係人らの名誉、プライバシーを害することになるか否か、刑事裁判に対する不当な圧力を生ずる恐れがあるか否か等を的確に判断し難い。)ものと解される。」旨判示している(東京高裁昭和六〇年二月二一日決定・判例時報一一四九号一一九ページ、同旨・大阪地裁昭和六〇年一月一四日決定・同裁判所昭和五八年(モ)第七九二三号事件判例集未登載)が、右の判旨は、守秘事項の一部の公表の相当性の判断権の帰属という点では共通性のある本件においても十分に参酌されるべきであって、既述の「抗告の理由」第二の一の解釈の相当性を理由付けるものといえるのである。

しかるに、原決定は、一方において、青色申告決算書記載事項が守秘事項であることを肯定し、その原本の提出義務を否定しておきながら、他方において、いかなる方策をとれば守秘義務違反を生ずるおそれなしに、青色申告決算書記載事項を訴訟において公表し得るかの判断を行い、申告者の特定につながる固有名詞を削除した写しであれば、その公表により守秘義務違反の問題が生じない旨判示したものであるが、右の判断自体、過去の同業者特定主張実例に照らしても、実情を正解しないものであることは、既に「抗告の理由」第二の二及び前記第一において詳細に明らかにしたとおりであり、右のような明らかに誤った判断が現になされたこと自体、右の判断については、文書を保管所持する行政庁の裁量に委ねられているとの解釈の相当であることを根拠付けるものといえるのである。

別紙

抗告理由に対する反論書

一 本文書は民訴法三一二条一号の文書に該当する。

1 原審の文書提出命令申立書補充書で詳論したように、同条一号が、当事者が引用した文書につきその当事者に提出義務を課した趣旨は、当該文書を所持する当事者が、裁判所に対し、その文書自体を提出することなく、その存在及び内容を積極的に申立てることにより、自己の主張が真実であるとの心証を一方的に形成させる危険を避け、当事者間の公平をはかって、その文書を開示し、相手方の批判をさらすべきであるという点にあるのである。

2 抗告人は「青色申告に言及したのは(中略)本件における推計課税の内容を説明するに当たり、類似同業者の抽出基準について一般的・概括的に述べたにとどまり、本件青色申告決算書の存在について触れたものではないから、特定の青色申告決算書の存在について具体的・自発的に言及し、かつ、その存在と内容を積極的に引用した場合に当たらないことは明らかである」と述べているが、これは真実と合致せず、奇弁以外の何物でもないことはこれまでの全国における税金訴訟の歴史からも明らかである。

即ち、昭和四〇年代から五〇年代初めにおいて税務署側は推計課税の立証方法として、氏名、住所その他納税者の特定につながるような固有名詞を塗り潰した類似同業者の青色申告決算書の写しを書証として提出していた。ところが、この様な文書は民訴法三一二条一号の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に該当するとしてその隠蔽部分を含めた青色申告決算書全体の文書提出を認める決定が相次いだために、税務署側はこれを免れるために、本件乙二、四号証のような通達回答方式に変更したのである。そして当初の通達には回答書の作成要領として「所得税青色申告決算書に基づき作成する」と記載されていたため、回答書が青色申告決算書に記載された当該金額を移記して作成されたものであることが文言上明らかであったために、「報告書作成要領が「所得税青色申告決算書に基づき作成する」とされている(中略)事実からすると、被告は、本訴において、直接青色申告決算書という言葉を主張において用い、あるいは右決算書それ自体を証拠として引用してはいないものの、右主張とこれに対応する提出証拠とを総合すると、本件訴訟において、本件青色申告書の存在に言及し、かつその記載内容中の重要部分を明らかにしてその記載内容中の重要部分を明らかにしてその主張を構成し、立証の手段を講じているものといわざるを得ず、被告のこのような主張、立証は、被告がみずからの方針として選択して、積極的、自発的に行なっているものであることは明らかである。」として青色申告決算書が民事訴訟法三一二条一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に該当するとしてその文書提出を認めた決定(大阪地裁昭和六一年五月二八日決定、判例時報一二〇九号一九頁)が出たために、本件訴訟のように殊更「青色申告決算書」の文字を用いない準備書面と書証を出すように国、税務署側の対応が変わってきたのである。

しかし、その実質は前述したように従前の国、税務署側の主張立証方法と何ら変わるものではなく、被告は類似同業者の数値が青色申告決算書の数値による客観的なものであるので、その推計は客観的かつ合理的であるということを主張立証しようとしているのである。

抗告人は、本訴において、前記抽出にかかる同業者らの当該年分の売上金額、売上原価額、所得金額からその売上原価率、所得率を算出し、それらの数値を被告準備書面(一)の別表三ないし五に表示した上、右類似同業者は「各年分を通じて所得税青色申告につき税務署長の承認を受けている者」(同準備書面、第四、一、3)から選定し、「右方法により選定された類似同業者は、機械的に抽出されたものであって、そこに恣意の介在する余地は無く、客観的な合理性を有するものである」ものである旨主張しているが、それは原決定が明確に認定したように、土井哲生証人の証言から明らかなように、被告準備書面(一)の別表三ないし五に表示されている数値は青色申告決算書の数値をそのまま記載したものであるから恣意の入る余地が無く客観的で合理的だという意味に他ならない。

3 しかも抗告人は抗告状において「前述した課税事績表の作成に当たっては、本件青色申告書を参照し、その内容の一部に基づいて作成したものであるが」と主張され、本件課税事績表(乙四号証の一ないし三)が本件青色申告決算書の数値をそのまま記載したものであることを自白しておられる。この自白がなくても、原決定が言うように「客観的かつ実質的には本件青色申告決算書に基づくものであるというべきであり、先に認定した本件事実関係の下では、被告は自己の主張を明確にするために本件青色申告決算書の存在及び内容に言及し、かつ右言及も積極的になされていると認めるのが相当である。」

そして本件自白がなされてしまった以上、被告が本件青色申告決算書の存在に具体的に言及していることは否定する余地も無く、本件青色申告決算書が民訴法三一二条一号の「訴訟に於て引用した文書」に該当することは明らかである。

二 守秘義務に基づく提出義務免除の主張について

1 抗告人は守秘義務に属するかどうかの判断及び文書のどの部分をどのようにして証拠提出するかの一切について守秘義務を負った者の判断に委ねられており、裁判所がこれを判断することは出来ないと強弁しておられる。

しかし、刑訴法四七条の守秘義務に関する判例であるが、静岡地決昭和六二年一月一九日(判例時報一二三六号一三六頁)は、「仮に刑事事件記録を公にするか否かの判断が、相手方主張の如く、刑事手続の公正な運用という観点から、第一次的には、当該記録の保管者の裁量に委ねられるとしても、それは、適正迅速な民事裁判の実現等それ以外の公益上の必要にも十分配慮した、合理的なものでなければならず、また、文書提出命令の申立の採否にあたり、民事裁判所が守秘義務の範囲具体的に隠することを否定するものでないことも、多言を要しないところである。したがって、相手方は、守秘義務あることを理由に、本件供述調書提出を拒むことはできない。」と判示しており、また東京高決昭和六二年六月三〇日(判例時報一二四三号三七頁以下)も、「本件報告書については、右理由のうち少なくとも(二)及び(三)の理由は通常は既に消滅しているものというべく。その理由がなお消滅しないことについて、また(一)の理由があることについて、相手方が何ら明らかにしない場合には、本件報告書の公開を妨げるべき事由は特に存在しないものと一応推定されるべきである。しかるに、叙上認定のとおり、本件報告書の保管者は、公開できない理由として捜査の秘密を保持する必要性がある旨をいうのであるが、その理由は、これでは、具体性・合理性を欠き、右推定を覆すには十分でない。」として証拠提出命令申立を却下した原決定を取り消しており、抗告人の言われるような「守秘義務に属するかどうかの判断及び文書のどの部分をどのようにして証拠提出するかの一切について守秘義務を負った者の判断に委ねられている」との立場を採っていないことは明らかである。抗告人の主張はこれらの裁判例の流れと明らかに反するものである。

2 本件の重要な点は、被告が、類似同業者と称する者の青色申告決算書の数値を乙四号証に記載して書証として提出し、また土井にその作成が真正かつ正確である旨証言させ、被告の主張が真実であるかのように心証を形成せしめようと立証活動をしている点である。

名古屋高裁昭和五五年二月三日決定(判例時報八五四号六九頁)は「民訴法三一二条一号で当事者がみずから引用した文書について提出義務を認めたのは、もっぱら訴訟において当事者は実質的に平等であらねばならないという基本的要請に基づくものであり、当事者が訴訟においてその所持する文書をみずから引用して自己の主張の根拠としながら、秘密の保持を要請されているからといってその提出を拒否するのは当該訴訟における相手方、本件について言えば抗告人の防御権を侵害するばかりでなく、訴訟における信義誠実の原則に反し、文書を引用してなした相手方の主張が真実であるとの心証を一方的に形成せしめ適正な裁判を誤らしめる危険さえ包蔵しているのでこれを抗告人の批判にさらすことが採証法則上公正であると考えられるからであり、そしてこのような場合秘密の保持を要請されている内容の文書であるにもかかわらずこれを訴訟維持のために敢えてみずからの主張の根拠にした当事者は、該文書についての守秘義務を遵守せず、それによって得られる秘密保持の利益を放棄したものとみなされるべきだからである。」と判示しているが、これに続けて「もし右当事者においてあくまで秘密保持の利益を保持しようとするならば、一部を隠ぺいしなければならないような文書を書証として提出することは断念すべきであろう。」と述べている。

証拠として出した以上、それに関し守秘義務を理由に提出を拒むなどというのは全く理不尽である。

守秘義務を理由として文書提出を拒むのであれば、被告は本件のような更正処分においてはその様な資料を使うべきではなく、誰から見ても客観的でかつ資料の出所が明確な統計数値を用いるべきではないかと考える。そのほうが訴訟当事者誰でもが納得できるし、守秘義務の問題が介在しないので攻撃防御を尽くすことが出来、その結果、誤りの無い真実を裁判所において認定できるからである。

3 抗告人は、仮りに本件青色申告決算書を提出すれば原告がこれをもって同業者を調査するので、守秘義務が果たせない旨を主張され、その疎明資料として疎乙二ないし四号証を提出しておられる。

しかし米子市内には個人営業の酒屋さんが一〇二軒もあり、固有名詞部分を隠せば、同業者には当該青色申告決算書が誰のものであるかは特定することは不可能である。

しかし原告が、原審の渡辺紀子氏が証言したような方法で調査をすれば、その内の一部を特定することは可能だとも考えられる。この原告がなす特定は訴訟当事者が行なう特定であって裁判における真実発言のためには欠くことの出来ないものである。

被告は乙四号証を提出した時点で、既に乙四号証に記載してある者の所得等を明らかにしており、守秘義務をその限度で放棄している。本来許されない守秘義務違反が行なわれているのである。従ってあとは程度の問題であり、守秘義務と裁判における真実発見、立証の公平・公正をどの程度で調和させるかが問題である。

前述のように、過去において、昭和四〇年代から五〇年代、国、税務署側は推計課税の立証方法として、氏名、住所その他納税者の特定につながるような固有名詞を塗り潰した類似同業者の青色申告決算書の写しを書証として裁判所に提出していた。これは固有名詞を塗り潰せば、公務員の守秘義務違反は生じないとの見解に基づくものであった。国は何時この見解を変えたのであろうか。全く御都合主義という外は無く、その内容はこれらの過去の事実も踏まえて裁判所において厳正に判断されるべきである。裁判所が行政の御都合によって変わる言い分をそのまま真に受けていては一体誰のための裁判所か、その根本が問われることになるであろう。

原決定は正に真実に目を向け、守秘義務と裁判所の職員との調和を行なった決定であり、極めて妥当なものである。

三 文書の一部を削除した写しの提出命令の可否について

1 文書の一部を削除して写しを作成するということは、抗告人が言うように「現存しない新たな文書を作成する」ことになるであろうか。

これは、単に削除部分が出ないだけのことであり、現存しない文書ではない。

現存している文書から、単に、削除部分の文書が隠されているだけのことである。

本来、文書の趣旨内容は、誰がその写しを作ろうが変わらないものであり、写しを作った人のその写しの作成目的が、削除部分以外は原本そのものを正確に写しとるという目的であれば、「別個の文書」と言うことは困難である。

刑事訴訟において一部不同意の書面について不同意部分を隠して抄本として写を提出することが行なわれているが、正にこれと同様のことであり、実務のやり方とも一致している。

2 以前全国における税務訴訟で、税務署側が青色申告の一部分を隠ぺいしたものを書証として提出して、推計の合理性を立証していたが、裁判所側はそのような立証方法を適法であると判断して、税務署側の主張を認めていた。これは青色申告書の写しを原本と同様に、その申告納税者の意思が表現されている文書であると理解した上で、初めて成り立つ理屈であり、実質的に「別個の文書」とは言えない。

四 速やかに本件抗告棄却の決定を求める。

【参考】第一審(鳥取地裁昭和六三(モ)第一五六号 平成元年一月二五日決定)

主文

一 相手方(被告)は、本件訴訟における推計課税のため抽出した同業者である昭和六一年一〇月七日付相手方(被告)準備書面(一)別表三ないし五に記載する米子税務署管内のA、B、C及びDについての各昭和五四年分ないし昭和五六年分の青色申告決算書(青色申告書添付の決算書一切)の写し(申告者、税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等の固有名詞を削除したもの)を提出せよ。

二 申立人(原告)のその余の申立てを却下する。

理由

一 申立人(原告、以下「原告」という)の本件申立ての趣旨及び理由は、「文書提出命令申立書」、「文書提出命令申立書補充書」、「同(二)」及び「同(三)」各記載のとおりであり(但し、更生処分とあるを更正処分と訂正する。)、相手方(被告、以下「被告」という)のこれに対する意見は、「文書提出命令に対する意見書」及び「同(二)」各記載のとおりであるから、これらを引用する。

二 当裁判所の判断

1 原告申立てに係る青色申告決算書(以下「本件青色申告決算書」という)が民訴法三一二条一号の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に当るか否かについて先づ検討することとする。

ところで、同条一号において、いわゆる「引用文書」を所持する当事者にその提出義務が課せられた趣旨は、その当事者が、裁判所に対し当該文書を提出することなく、その存在及び内容を積極的に申立てることによりその主張が真実であるとの一方的な心証が形成されるのを防止し、当事者間の公平を図るためその文書を相手方の批判にさらすべきであるという点にあり、右のような趣旨に照らせば、右のいわゆる「引用文書」とは、文書そのものを証拠として引用する場合の他、その主張を明確にするため文書の存在・内容につき積極的に言及した場合の文書も含むと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、一件記録によれば、被告は、本訴において被告抽出に係る同業者らの各当該年分の売上金額、売上原価額及び算出所得の金額(売上金額から売上原価及び標準経費の額を控除した後の金額)から売上原価率及び算出所得率を算出し、それらの数値を昭和六一年一〇月七日付被告準備書面(一)別表三ないし五に表示したものの、右各数値は本件青色申告決算書或いは青色申告した際の金額に基づく旨の明示の主張はしていないし、地方証拠としても「「昭和五四年分ないし昭和五六年分の酒類小売業者の課税事績表」の報告について」と題する広島国税局長作成の被告宛の通達書(〈証拠略〉、以下「本件通達書」という)及びこれに対する右各年分の被告作成の「酒類小売業者の課税事績表」と題する広島国税局長宛の報告書(〈証拠略〉、以下「本件課税事績表」という)を提出しているにすぎず、本件青色申告決算書自体は右課税事績表にも明示的には言及されていないことが認められ、これによれば、被告の主張及び立証は直接には本件青色申告決算書とは別個独立の本件課税事績表に基づくものであるということができる。

しかしながら、被告は、本訴において、選定条件の一つとして各年分を通じて所得税青色申告につき税務署長の承認を受けている者を類似同業者として選定し他の条件と相俟って右選定は客観的な合理性を有する旨主張するとともに、右通達書には所得税法第一四三条(青色申告)の承認を昭和五四年以降昭和五六年分まで受けている者を本件課税事績表を作成する際の対象者とする旨記載されていることが認められる他、右通達書の作成に関与した証人土井哲生は、類似同業者の選定に際し青色申告の承認を受けた者という条件を附したのは青色申告書の内容は信用することができこれを基に資料を作成させようとした旨証言し、以上の点を考慮すれば、本件課税事績表が被告抽出に係る同業者の本件青色申告決算書に記載された金額を移記して作成されたものと認められる。

そうすると、前記のとおり、被告の本訴における主張及び立証が直接には本件課税事績表に基づくものであるとしても、客観的かつ実質的には本件青色申告決算書に基づくものであるというべきであり、先に認定した本件事実関係の下では、被告は自己の主張を明確にするために本件青色申告決算書の存在及び内容に言及し、かつ右言及も積極的になされていると認めるのが相当である。

以上の検討によると、本件青色申告決算書はいわゆる「引用文書」に当るというべきである。

2 次に守秘義務の問題について検討する。

民訴法三一二条に定める文書提出義務は、公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一性格と解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号などの規定が類推適用されるべきところ、本件青色申告決算書に個人の秘密に属する記載のあることは〈証拠略〉より明らかであるうえ、被告は職務上知り得た右事項につき国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によって守秘義務を負うものであるから、本件青色申告決算書の原本それ自体の提出義務は免れるというべきである。

よって、原告の主位的申立てはその余の点について判断するまでもなく理由がない。

3 そこで更に原告の予備的申立てについて検討する。

前記のとおり、被告は原本それ自体は守秘義務の関係から、提出義務はないものの、本件青色申告決算書の記載中、申告者及び税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名など申告者の特定につながる固有名詞を削除した文書(写し)については、これを提出したとしても、特段の事情のない限り納税者の営業、財産などに関する秘密を漏泄するおそれが直ちにあるとはいえないと考えられる。

被告は、この点につきそのような写しであっても申告者の特定が可能になり更には申告者が事業内容などにつき調査を受けるなどの弊害を生じたことがある旨主張するが、少なくとも本件について右のような弊害等が生じる具体的危険の発生を認めるに足りる証拠はなく他に右特段の事情も認め難い。

以上のとおりとしても、文書提出命令の制度はもともと特定の原本が現存することを前提とするものであるからその作成がいかに容易であっても現存しない文書を作成したうえこの提出を命じることは文書提出命令の制度上不可能とも考えられる。しかし、前記1のとおり被告はもともと前記引用に係る本件青色申告決算書の原本を公平の見地から提出すべき義務があるにもかかわらず、前記2の守秘義務との関係でこれを免れるという特段の事情のある本件にあっては、右写しの提出を命じることはむしろ前記文書提出命令の制度の目的を、守秘義務との調和を図りながら可能な限り実現する方法として適当であり、かつ許容されるべきものというべきである。

そして、推計課税の推計の合理性が争われている本件事案の性質・内容に照らせば、本件青色申告決算書が証拠としての必要性を欠くものとも認め難い。

4 よって、本件文書提出命令の申立ては主文第一項の限度で理由があるからこれを認容し、その余の申立てを却下することとして、主文のとおり決定する。

(裁判官 平田勝美 能勢顯男 金光健二)

別  紙

文書提出命令申立書

原告は以下のとおり文書の提出を求める。

一 文書の表示及び文書の趣旨

1 主位的申立

被告準備書面(一)(昭和六一年一〇月七日付)の別表三ないし五に記載されているAないしDについての各昭和五四年分ないし昭和五六年分の青色申告決算書(青色申告書添付の決算書一切)

2 予備的申立

右文書の写し。但し、申告者・税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等の固有名詞を削除したもの

二 文書の所持者

被告

三 立証趣旨(証すべき事実)

被告の主張する類似同業者AないしDと原告とはその専従者数・従業員数、及びこれらの給与・人件費、償却資産、雑収入、棚卸高等々の営業規模、業態等が異なっている事実。AないしDを、原告の類似同業者として推計の根拠に用いることは全く合理性が無い事実。

四 根拠法条(文書提出義務の原因)

民訴法三一二条一号

文書提出命令申立書補充書

本件申立の根拠法条は民訴法三一二条一号であるが、その具体的内容は、被告がその一部を準備書面(一)(昭和六一年一〇月七日付)の別表三ないし五に引用し、かつ乙四、五号証として提出し、もって被告の推計の合理性の主張、立証に供しているという点である。

文書提出命令申立書補充書(二)

一 本文書は民訴法三一二条一号の文書に該当する。

1 同条一号が、当事者が引用した文書につき当事者に提出義務を課した趣旨は、当該文書を所持する当事者が、裁判所に対し、その文書自体を提出することなく、その存在及び内容を積極的に申立てることにより、自己の主張が真実であるとの心証を一方的に形成させる危険を避け、当事者間の公平をはかって、その文書を開示し、相手方の批判をさらすべきであるという点にあると考えられる。

従って、同条号所定の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは、被告が主張するような説も無いではないが、そのように殊更狭く解すべきではなく、当事者の一方が訴訟において立証それ自体のためにする場合だけに限られず、その主張を明確にするために、文書の存在について、具体的、自発的に言及し、かつその存在・内容を積極的に引用した場合における当該文書を指すものと解すべきである。(同旨大阪地裁昭和六一年五月二八日決定、判例時報一二〇九号一六頁以下)

2 本件についてこれをみるに、被告は、本訴において、前記抽出にかかる同業者らの当該年分の売上金額、売上原価額、所得金額からその売上原価率、所得率を算出し、それらの数値を被告準備書面(一)の別表三ないし五に表示した上、右類似同業者は「各年分を通じて所得税青色申告につき税務署長の承認を受けている者」(同準備書面、第四、一、3)から選定し、「右方法により選定された類似同業者は、機械的に抽出されたものであって、そこに恣意の介在する余地は無く、客観的を合理性を有するものである」ものである旨主張している。

同準備書面及び乙二号証の中には、何処にも「青色申告決算書」の文字は出てこないが、被告代理人は乙二号証を作成した土井哲生に対する尋問で「それは青色申告書をきちんとした書類に基づいて出しておる人の、それの青色申告書の内容というものは信用できる、そういうものを基に資料を作ろう、ということですね」と尋問し、土井はこれを肯定しているが(同証人調書一二項)、要するに被告が前述のように「機械的に抽出されたものであって、そこに恣意の介在する余地は無く、客観的な合理性を有するものである」と主張するのは、被告準備書面(一)の別表三ないし五に表示されている数値は青色申告決算書の数値をそのまま書いたものであるから客観的で合理的だという意味に他ならない。これは土井に対する証人尋問の全内容からも明らかである。

3 何故被告は、同準備書面及び乙二号証の中に、「青色申告決算書」の文字は出さない様にしているのだろうか。

それは、「青色申告決算書」の文字が無いことを理由に本文書が民訴法三一二条一号の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に該当しないと言うためである。

しかしこれは全くの空虚な形式論であり、真実と全く合致しない。

本件の様な税金訴訟について、被告の推計課税の主張立証方法及びこれに関する文書提出命令の裁判所の決定は歴史的には以下のようにまとめることが出来る。

〈1〉 昭和四〇年代から五〇年代初めにおいて税務署側は推計課税の立証方法として、氏名、住所その他納税者の特定につながるような固有名詞を塗り潰した類似同業者の青色申告決算書の写しを書証として提出していた。

ところが、この様な文書は民訴法三一二条一号の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に該当するとしてその隠蔽部分を含めた青色申告決算書全体の文書提出を認める決定が相次いだ。(名古屋高裁昭和五五年二月三日決定、判例時報八五四号六八頁、その他多数の判例)

〈2〉 そこで税務署側はこれを免れるために、本件乙二、四号証のような報告要請、報告書の方式に変更したのである。

即ち、国税局長作成の税務署長宛の報告要請及びそれに対する税務署長作成の国税局長宛報告書を証拠として提出するようになったのである。そして当初の報告要請書には報告書の作成要領として「所得税青色申告決算書に基づき作成する」と記載されていた。

ところが、このような記載から、報告書が青色申告決算書に記載された当該金額を移記して作成されたものであることが文言上明らかであったために、「報告書作成要領が「所得税青色申告決算書に基づき作成する」とされている(中略)事実からすると、被告は、本訴において、直接青色申告決算書という言葉を主張において用い、あるいは右決算書それ自体を証拠として引用してはいないものの、右主張とこれに対応する提出証拠とを総合すると、本件訴訟において、本件青色申告書の存在に言及し、かつその記載内容中の重要部分を明らかにしてその記載内容中の重要部分を明らかにしてその主張を構成し、立証の手段を講じているものといわざるを得ず、被告のこのような主張、立証は、被告がみずからの方針として選択して、積極的、自発的に行なっているものであることは明らかである。」として青色申告決算書が民事訴訟法三一二条一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に該当するとしてその文書提出を認めた決定(前記大阪地裁昭和六一年五月二八日決定、判例時報一二〇九号一九頁)が出たために、本件訴訟のように殊更「青色申告決算書」の文字を用いない準備書面と書証を出すように税務署側の対応が変わってきたのである。

しかし、その実質は前述したように従前の税務署側の主張立証方法と何ら変わるものではなく、被告は類似同業者の数値が青色申告決算書の数値による客観的なものであるので、その推計は客観的かつ合理的であるということを主張立証しようとしているのである。

前記の名古屋高裁昭和五五年二月三日決定(判例時報八五四号六九頁)は「民訴法三一二条一号で当事者がみずから引用した文書について提出義務を認めたのは、もっぱら訴訟において当事者は実質的に平等であらねばならないという基本的要請に基づくものであり、当事者が訴訟においてその所持する文書をみずから引用して自己の主張の根拠としながら、秘密の保持を要請されているからといってその提出を拒否するのは当該訴訟における相手方、本件について言えば抗告人の防御権を侵害するばかりでなく、訴訟における信義誠実の原則に反し、文書を引用してなした相手方の主張が真実であるとの心証を一方的に形成せしめ適正な裁判を誤らしめる危険さえ包蔵しているのでこれを抗告人の批判にさらすことが採証法則上公正であると考えられるからであり、そしてこのような場合秘密の保持を要請されている内容の文書であるにもかかわらずこれを訴訟維持のために敢えてみずからの主張の根拠にした当事者は、該文書についての守秘義務を遵守せず、それによって得られる秘密保持の利益を放棄したものとみなされるべきだからである。」と述べているが、被告は貴裁判所に対し自らの主張立証の根拠として、類似同業者と称する者の青色申告決算書の数値を真実であるかのように心証を形成せしめようとしているのであり、原告としては、被告の主張する類似同業者が本当に類似同業者たりうるか、あるいは乙四号証の数値が本当に信用できるものであるかどうか等を反証するために、本件申立をしているのである。

二 守秘義務に基づく提出義務免除の主張について

1 本件の重要な点は前述したように、被告が、類似同業者と称する者の青色申告決算書の数値を乙四号証に記載して書証として提出し、また土井にその作成が真正かつ正確である旨証言させ、被告の主張が真実であるかのように心証を形成せしめようと立証活動をしている点である。

前記の名古屋高裁昭和五五年二月三日決定(判例時報八五四号六九頁)は「民訴法三一二条一号で当事者がみずから引用した文書について提出義務を認めたのは、もっぱら訴訟において当事者は実質的に平等であらねばならないという基本的要請に基づくものであり、当事者が訴訟においてその所持する文書をみずから引用して自己の主張の根拠としながら、秘密の保持を要請されているからといってその提出を拒否するのは当該訴訟における相手方、本件について言えば抗告人の防御権を侵害するばかりでなく、訴訟における信義誠実の原則に反し、文書を引用してなした相手方の主張が真実であるとの心証を一方的に形成せしめ適正な裁判を誤らしめる危険さえ包蔵しているのでこれを抗告人の批判にさらすことが採証法則上公正であると考えられるからであり、そしてこのような場合秘密の保持を要請されている内容の文書であるにもかかわらずこれを訴訟維持のために敢えてみずからの主張の根拠にした当事者は、該文書についての守秘義務を遵守せず、それによって得られる秘密保持の利益を放棄したものとみなされるべきだからである。」と判示していることは前述のとおりであるが、これに続けて「もし右当事者においてあくまで秘密保持の利益を保持しようとするならば、一部を隠ぺいしなければならないような文書を書証として提出することは断念すべきであろう。」と述べている。

証拠として出した以上、それに関し守秘義務を理由に提出を拒むなどというのは全く理不尽である。

守秘義務を理由として文書提出を拒むのであれば、被告は本件のような更正処分においてはその様な資料を使うべきではなく、誰から見ても客観的でかつ資料の出所が明確な統計数値を用いるべきではないかと考える。そのほうが訴訟当事者誰でもが納得できるし、守秘義務の問題が介在しないので攻撃防御を尽くすことが出来、その結果、誤りの無い真実を裁判所において認定できるからである。

2 なお、本件提出命令申立を却下しても「納税者において通常は保持している帳簿書類又は原始記録の提出若しくはこれに代えて蒐集する資料の提出等により反証を行なうことは可能であるから原告に著しい不利益が生ずる訳では無い」との見解があることは当職も承知しているが、被告は原告の実額反証を「時期に遅れた攻撃防御方法」として排斥しようとしており、また何よりも本件の争点は、原告が帳簿を用意して待っていたにもかかわらず、被告が立会人と喧嘩をして帳簿を見ずに一方的に推計したものであり、またこれまでの証拠調べからも明らかなように原告に対する税務調査に先立って第三者への反面調査が行なわれており、被告の意図的かつ異常な行動、推計が問題なのである。

従って原告は、被告の推計の必要性、合理性を正面から争っており、原告の手持資料による反証を云々する前に、被告の出鱈目な推計こそ問題にすべきであり、その為には本件の文書が是非とも必要である。

3 守秘義務と文書提出命令に関する判例を考察するに、大阪高決昭和五三年三月六日(判例時報八八三号九頁以下)は「秘密部分を特定し、理由を明示する等して提出命令を妨げる特段の事情を立証しない限り、単に――(中略)――企業の内部において秘密扱にしているものが含まれていることをもって、当然にその提出を拒む理由とすることができない」と述べて秘密部分の特定と理由の明示を要求しているし、また大阪地決昭和五三年三月三一日(判例時報九〇七号八一頁以下)は「民訴法三一二条以下の規定による文書提出義務は当該文書の所持者に対する私法上の義務ではなく公法上の義務であり民事裁判における真実発見のため必要な書証を一定の要件のもとに提出させて裁判所の判断の資料に供させ、裁判の適正化に資せんとする目的を持つものと解せられるが民事裁判が当事者間における権利義務の確定を目的とするものであることや証言拒絶権との比較からみてもその提出によって公共の利益、秘密、第三者や当事者のそれらが不必要に侵害されることを防止する必要があるが、右のような問題は程度の問題と考えられるので夫々の事情を比較衡量して決められるべきであろう」と判示している。

守秘義務の根拠条文は本件とは異なるが、刑訴法四七条の守秘義務に関する判例も、裁判所が公益の必要を考慮して守秘義務の範囲を具体的に画することができるとしており(静岡地決昭和六二年一月一九日判例時報一二三六号一三四頁以下、東京高決昭和六二年六月三〇日判例時報一二四三号三七頁以下)、被告の主張はこれらの裁判例の流れと明らかに反するものである。

三 被告は、固有名詞を隠した写しは「現存しない文書」としてその提出命令は認められないとする大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定(判例時報一二二二号三五頁)を持ち出して原告の予備的請求を非難しているが、この高裁決定は全くの形式論であり、到底当事者を納得させるものではない。その原審である前記の大阪地裁昭和六一年五月二八日決定(判例時報一二〇九号一六頁以下)こそ実態と真実を踏まえ、悩み抜いて考えられた裁判官の良心に基づく決定である。

四 近時の判例、学説は民訴法三一二条一号の解釈や守秘義務との衝突の関係についても全てにオール・オア・ナッシングの処理をするのでなく中間的な解決を模索しているし、文書提出義務の拡大をしようとしている。

形式論や文言の形式解釈で本件申立を却下するのは簡単であるが、実質と真実に基づき、貴裁判所の英断を望むものである。

五 なお本文書提出命令の根拠として、原告は民訴法三一二条三号後段も主張する。即ち、原告に対し、更正処分及び被告の推計という法律関係をもたらしているところの類似同業者の根拠となっている文書であり、同条同号に言う「法律関係ニ付作成セラレタ」をこのように拡大して解釈すべきであると思料する。

以上

文書提出命令申立書補充書(三)

一 昭和六三年九月一六日付の文書提出命令申立補充書の本文二、三行目の「乙四、五号証」を「乙四号証」と訂正する。

二 文書の一部を削除して写しを作成するということは、被告が引用する大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定が言うように「現存しない新たな文書を作成する」ことになるであろうか。

これは、単に削除部分が出ないだけのことであり、現存しない文書ではない。

現存している文書から、単に、削除部分の文書が隠されているだけのことである。

また、同高裁決定は「別個の文書であることは言うまでもない」と述べているが、果たしてそうであろうか。

確かに、形式的には、原本はその原本作成者が作成し、その写しは写しをとる作業をした人そのものが作成者であるように考えられている。

しかし、本来、文書の趣旨内容は、誰がその写しを作ろうが変わらないものであり、写しを作った人のその写しの作成目的が、削除部分以外は原本そのものを正確に写しとるという目的であれば、「別個の文書」と言うことは困難である。

以前全国における税務訴訟で、税務署側が青色申告の一部分を隠ぺいしたものを書証として提出して、推計の合理性を立証していたが、裁判所側はそのような立証方法を適法であると判断して、税務署側の主張を認めていた(名古屋地判昭和四九年三月二九日、訟務月報二〇・七・一三九頁等)。

これは青色申告書の写しを原本と同様に、その申告納税者の意思が表現されている文書であると理解した上で、初めて成り立つ理屈である。

従って、実質的には「別個の文書」と割り切ることは出来ない。

三 原告がこれまでに主張したように、文書提出義務の拡大は、否応無しに守秘義務との衝突の問題を多く生じさせることになるので、全てオール・オア・ナッシングの処理をするのではなく中間的な解決を模索する必要を生じさせているのである。

従って、証拠調べ手続に工夫を加える調整をすることが必要となってくる。

本件はその意味でこの工夫であり、調整である。

四 以上、予備的な削除部分の写しの提出の問題について述べたが、本来は補充書(二)で述べたように、被告は本件のような書証を証拠で積極的に行なっているので、それに対する原告の攻撃防御は完全に尽くされなければならないので、本件文書は何ら隠ぺいせずにその全体の提出が認められるべきであると思料する。

別  紙

文書提出命令に対する意見書

原告(以下「申立人」という。)は、昭和六三年八月二五日付けの文書提出命令の申立てにおいて、「主位的」に〈1〉被告(以下「相手方」という。)の準備書面(一)の別表三ないし五に記載されているAないしDについての昭和五四年分ないし同五六年分の青色申告決算書、「予備的」に〈2〉同決算書の写し(ただし、申告者・税理士の住所・氏名等の固有名詞を削除したもの)の提出を求めている(以下、前者を「〈1〉文書」、後者を「〈2〉文書」、両者を併せて「本件文書」という。)が、本件申立ては、以下に述べるとおり、その理由を欠くものであるから、速やかに却下されるべきである。

一 本件文書は、民訴法三一二条一号の文書に該当しない。

申立人は、本件文書は相手方が訴訟において引用した文書に当たり、これを相手方において所持している旨主張する。

しかしながら、民訴法三一二条一号の「訴訟ニ於テ引用シタル」とは、文書そのものを証拠として引用した場合、すなわち、文書所持者が特定の文書を証拠として引用する意思を明らかにした場合に限られるものと解すべきところ〔兼子一・条解民事訴訟法(上)七九三ページ、岩松三郎=兼子一編・法律実務講座民事訴訟編二八三ページ参照〕、相手方が本件訴訟において、本件文書の存在と内容について言及して被告としての主張を明らかにしたことはないのであるから、本件文書を相手方が訴訟において引用したものといえないことはもとより、相手方が青色申告をしている同業者の申告内容に基づいて主張、立証を行ったとしても、これをもって、本件文書自体を引用したことにならないことは明らかである(申立人において、本件文書が引用文書に当たるとする根拠の一つとされている乙第四号証の一ないし三、第五号証自体からも明らかなように、相手方の主張・立証は、決算書とは別個の文書としての「同業者課税事績表」によって行われているのである。)。また、民訴法三一二条ないし三一四条所定の文書提出命令の制度は特定の文書の原本が現存することを前提とし、これを所持する訴訟当事者若しくは第三者にその提出を命ずるものであるから、その作成がいかに容易であっても、現存しない文書を作成した上、これを提出すべきことを命ずることは許されないと解すべきところ(大阪高等裁判所昭和六一年九月一〇日決定・訟務月報三三巻五号一二三五ページ参照)、〈2〉文書のごときものは、現存の限りではなく、当然のことながら、相手方において所持していないことも明らかといわなければならない。

よって、本件文書を民訴法三一二条一号の文書ということはできないのである。

二 本件文書については、秘密保持の要請により提出義務が存在しない。

1 民訴法三一二条所定の文書の提出義務も、証人義務などと同様の性質を有する公法上の義務と解すべきであるから、証人に関する証人義務、証言義務について規定する同法二八一条一項一号、三号に該当する事由がある場合には、右法条の類推適用により、文書の所持者には文書提出義務はないと解されているところである(東京地裁昭和四三年九月二日決定・判例時報五三〇号一八ページ、東京地裁昭和四三年九月一四日決定・判例時報五三〇号一八ページ参照)。

そして、民訴法二七二条、同法二七三条及び同法条を引用する同法二八一条一項一号の「職務上の秘密」に関する規定は、国家の秘密と訴訟における真実発見の必要性との衡量に関して、国家の秘密を優先させることを定めたものであるから、「職務上の秘密」に属するかどうか明らかでないため、裁判所が証人尋問の申出を採用した場合でも、証人は、尋問事項が「職務上の秘密」に関する理由を疎明して証言を拒むことができ、その疎明があれば、もはや、証言拒絶の当否について裁判所が裁判をする余地はなく(同法二八三条)、監督官庁に対し証人尋問の承認を求める手続をとらなければならない。すなわち、尋問事項が職務上の秘密に関する事項かどうかの実質的な判断権は裁判所にはなく、その点の判断は承認を求められた監督官庁の自由な裁量に委ねられているものというべきところ(井口牧朗「公務員の証言拒絶と国公法一〇〇条」実務民事訴訟講座1三〇三ページ、三〇六ページ)、文書提出命令の場合についても同様であり、文書の記載内容が「職務上の秘密」に関する事項か否かの判断権は、当該文書の所持者にあるといわなければならない。

2 ところで、〈1〉文書には、当該申告者の氏名、住所、事業所所在地等のほか、所得金額が記載されており、課税当局がこれらの事項を公表すると、申告者の営業上の秘密やプライバシーを侵害する結果を生じさせることとなり、国家公務員法一〇〇条一項及び所得税法二四三条に規定する守秘義務に違背するのみならず、課税当局と納税者間の信頼関係を基礎に成り立っている現行の申告納税制度を根幹から揺るがすこととなって、税務行政の今後における執行に重大な支障を招来することは必定であり、国家の利益又は公共の福祉に重大な損失ないし不利益を及ぼすことは明らかである。

また、〈2〉文書については、申告者の特定が困難であるから、これを公表しても、〈1〉文書のように守秘義務違反の問題は生じないとの考えがあり得、申立人もこのような見解に依拠して「予備的申立」を行なっているものと思料されるが、青色申告決算書には、相手方において立証しようとする事項以外にも種々の情報が記載されているため、例えば、従業員・専従者の年齢、償却資産の内容等から、あるいは、申告書自体の筆跡から、申告者の特定が可能になる場合があり、かつて税務訴訟において〈2〉文書と同様の文書が書証として法廷に顕出された際、原告側から、右書証に基づく調査で申告者を特定しえたと主張する事例が相当数にのぼり(もちろん、ここでは、右特定が客観的事実に符合しているか否かを問題にしているのではない。)しかも、その同業者と名指しされた者が、原告側からその事業内容等につき調査されたりして困惑するという事態が生じるに至ったことは周知の事実である。その上、本件の場合、相手方は、広島国税局長が一定の選定基準を設定のうえでなした通達に基づき、調査、報告された文書を乙第四号証の一ないし三、第五号証として提出したものであるところ、右選定基準(被告準備書面(一)第四参照)に該当する者は、米子税務署の管轄区域内に僅かに四件であったことからみても、相手方として申告者の匿名性維持には特に細心の注意を払う必要がある場合なのである。

本件において青色申告決算書を提出することは、前記決算書提出の一般的問題のほかに、右のような特殊事情も加わって、仮に、申告者の氏名、住所等を削除したとしても、その申告者の氏名が特定されるおそれは、極めて高く、このような場合において、この文書を提出することが、税務職員である相手方に課された守秘義務に違反するものであることは明らかというべきである。

3 よって、相手方は、本件文書の提出義務を負わないというべきである(なお、仮に本件文書が引用文書に当たるとしても、相手方が訴訟当事者としての右のような内容を有する本件文書を引用したからといって第三者である同業者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはないから、相手方は右秘匿部分について依然守秘義務を負っているものというべく、相手方は、いずれにしても本件文書の提出義務を負うものではないというべきである。)。

三 本件文書には、証拠としての必要性がない。

本件において、被告である相手方は、推計の合理性に関する詳細な主張を行なった上、乙第四号証の一ないし三、第五号証の成立及び同業者選定経緯等の立証を終了しているのであるから、推計課税の適否が争点となっている税務訴訟の審理のあり方からしても、被告が主張する業態の類似要件で推計が合理的であるか否かがまず判断されるべきである。そして、右合理性が否定されない以上、原告の主張する業態のささいな相異を問擬する必要はないから、本件文書を証拠として取り調べる必要性は存在しないものというべきである。

文書提出命令に対する意見書(二)

一 申立人は、本件文書と民訴法三一二条一号の文書に該当する旨主張する。

しかしながら、本件における乙第四号証(類似同業者の課税事績表)は、相手方において、本件文書提出命令の申立てに係る類似同業者の青色決算申告書(以下「本件文書」という。)をもとに、その一部を移記して作成した独立の文書であって、その際除外された部分は相手方がそもそも訴訟において引用していないことは明らかであるから、本件文書を民訴法三一二条一号所定の「引用文書」に当たるとすることは到底できないものというべきである。そして、申立人が本件文書をもって「引用文書」に当たるとして縷縷主張するところは、その趣旨が必ずしも判然としないところがあるが、仮に実質論の名のもとに、「乙第四号証の数値が本当に信用できるか。」、あるいは、「被告(相手方)の主張する類似同業者が本当に類似同業者たり得るか。」〔いずれについても、文書提出命令申立て補充書(二)(以下「補充書(二)」という。)一3末尾部分参照〕を検証する必要性の大きいことを理由として、「引用」概念を拡大解釈すべきものとするのであれば、本来、「引用文書」該当性の判断要素とは別個、異質の乙第四号証の実質的証拠力の評価に係わる問題(もとより、申立人側において、他に乙第四号証の証明力を減殺する手段方法がないわけではない。)か、本件文書の証拠としての必要性の有無に係わる問題〔この点については、昭和六三年一〇月一三日付け文書提出命令に対する意見書(以下「意見書(一)」という。)三参照〕を民訴法三一二条一号の解釈の場に持ち込むものであって、申立人の主張は、明らかに失当と評すべきである。

二 申立人は、「引用文書」については、税務職員の守秘義務を理由にその提出義務を免れることはできない旨主張し、その根拠として、名古屋高裁昭和五五年二月三日決定を援用する。

しかしながら、申立人の右主張は、意見書(一)で述べたとおり、失当というべきであり、また、この問題に関する裁判例等をみても、前記名古屋高裁決定のごとき見解をとるものは極めて少数であって、「引用文書」についても守秘義務に基づく提出義務の免除を認めるのが実務の趨勢的見解であること(名古屋地裁昭和五一年一月三〇日決定・訟務月報二二巻三号七七九ページ、浦和地裁昭和五四年一一月一六日決定・訟務月報二六巻二号三二五ページ、那覇地裁昭和六一年六月三〇日決定・最高裁事務総局編・租税関係行政事件執務資料三三七ページ、大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定・訟務月報三三巻五号一二三五ページ等)を指摘しておかなければならない。

なお、申立人が補充書(二)二1の末尾部分において主張するところ(「守秘義務を理由として文書提出を拒むのであれば、……認定できるからである。」)は、自ら税務調査を拒否しておきながら、推計課税の方法のうち、最も信頼性が高いとされている同業者比率による推計課税方式そのものを否定する暴論というほかなく、また、相手方は、同二3において申立人の挙げる裁判例の考え方に依拠して、秘密部分の特定(本件文書のうち、乙第四号証の記載内容を除く部分が秘密に属する。)と理由の明示を行っている(意見書(一)2参照)のであるから、補充書(二)二3末尾部分の、「被告(相手方)の主張はこれらの裁判例の流れと明らかに反するものである。」との点は、申立人が何を言わんとしているのか全く理解に苦しむところである。

三 申立人は、「被告の出鱈目な推計こそ問題にすべきであり、その為には本件の文書が是非とも必要である。」旨主張するが、元来納税者たる申立人は、自らの所得に関し、最もよく知るものであり、立証技術の工夫によって他に反証を挙げることもさして困難なことではないものと思料されるから、申立人の右主張は、明らかに失当である。

なお、この点に関連して、申立人は、相手方が、申立人による実額反証を時期に遅れた攻撃防御方法として排斥しようとしている点を問題としているが、仮に、貴裁判所において、申立人による実額反証が排斥されるような事態が起こるとしても、それは、もっぱら申立人自らが法律上の義務を履践しなかったことに起因するのであって、本件文書が証拠として必要か否かを判断するに当たり考慮されるべき事柄ではないことに留意しなければならない。

四 申立人は、「固有名詞を隠した写しは『現存しない文書』としてその提出命令は認められないとする大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定(は)……全く形式論であり、到底当事者を納得させるものではない。」旨主張する。

ところで、文書提出命令で原本の一部を削除した写しの提出を命じ得るかについては、従来、特に論じられていないようであるが、これは、民訴法三一四条一項が「……文書ノ所持者ニ其ノ提出ヲ命ス」、同三二二条一項が「文書ノ提出又ハ送付ハ原本ノ正本又ハ認証アル謄本ヲ以テコレヲ為スコトヲ要ス」と規定していることから、文書提出命令の対象が当該文書の原本そのものであることが当然のことと考えられていたことによるものと解される。そして、前記大阪高裁決定は、このいわば当然の事理を確認したものであって、その判断が正当であることはいうまでもないところであるから、申立人の前記主張には理由がない。

五 申立人は、本件文書は民訴法三一二条三号後段の文書に該当する旨主張する。

しかしながら、前同条号にいう「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタル」文書とは、法律関係それ自体を記載した文書のみに限る趣旨と解する必要はないが、いやしくも当事者の意に反して提出を命じ得るとする以上は、その文書が当該法律関係に関して作成されたものであることを要し、たまたま作成された文書の内容が当該法律関係に関連するというだけでは十分でなく、このことは、同条の他の号の規定と対比しても明らかなところである。

すなわち、同条一号は、当事者が訴訟において自ら積極的に当該文書を引用する以上、それをもって証拠とすることを前提としていると解されるのであり、同条二号は、挙証者が文書の所持者に対して、当該文書の引き渡し又は閲覧を求め得る以上、その内容が法廷に現れることは当然予想され得るのであり、また、同条三号前段の文書も、それが挙証者の利益のために作成せられたる以上は、その作成の段階において、将来これが挙証者の権利を証するために使用されることが、当然の前提とされているのである。弁論主義を採る現在の民訴法が、その例外として、当事者を含む文書の所持者に文書の提出を命じ得る旨を規定し、かつ、その不提出の効果として「裁判所ハ文書ニ関スル相手方ノ主張ヲ真実ト認ムルコトヲ得」と規定している(民訴法三一六条)のは、このように、文書そのものが、本来、係争の法律関係の証拠として作成されたか、あるいは当該訴訟の当事者がこれを証拠とする意思を表明しているからにほかならない。この趣旨は、同法三一二条三号後段の解釈においても当然考慮されるべきであって、同号後段の文書たるには、〈1〉文書作成の段階において、挙証者との間の法律関係が前提として存在し、〈2〉これに関連して当該文書が法律関係の当事者たる挙証者と所持者の間で作成されたか、一方当事者から他方当事者に対するものとして作成されたかのいずれでなければならないのは理の当然である。

ところで、本件文書は、もともと挙証者である申立人以外の第三者と相手方の間における課税法律関係に関連して作成されたものであって、そもそも申立人と相手方間における特定の権利関係を念頭に置いたものでなく、右〈1〉、〈2〉いずれの要件も充足しないことは明らかであるから、申立人の前記主張は失当として排斥されるべきである。

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